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弁護士のキャリア

旧司法試験 – 意外と簡単

弁護士のキャリア

久しぶりにブログを書こうとすると毎回何から書いていいか分からなくなるのですが、とりあえず、キャリアの振り返りということで、そのスタート(?)である旧司法試験について書いてみます。

旧司法試験とは – ハンター試験ばりの難易度

法科大学院を卒業すれば受験資格を得られる現行の司法試験制度の前に、2011年ころまで存在した司法試験です。通常、法学部であろうとなかろうと、大学二年生くらいまでの単位を取得していれば誰でも受験できる仕組みになっていました(単位が足りないと、一次試験という名の実質的なゼロ次試験を受ける仕組みになっていましたが、これを受けた人にはまだ遭遇したことがありません。)。

なお、現在では、成績優秀層にとっては、法科大学院に通わずに受験資格を得られる予備試験という名の試験を通って司法試験を受験するのが王道になっており、法科大学院と予備試験は事実上主従逆転しています。

旧司法試験の合格率は色々と変遷もありましたが、だいたい2-3%くらいで、私の時は(終焉期であったため)約30,000人の応募者に対して約1-2%程度の合格率でした。

資格試験の最高峰と呼ばれることも多かった司法試験ですが、感覚的にどのくらい難しかったかというと、ポックルくらいの実力があれば受かるハンター試験くらいの難易度でした。ちなみに当時は、トンパやアモリ三兄弟みたいな中堅~ベテラン受験生もいました、というか多数派でした

旧司法試験挑戦のきっかけは小学校の卒業アルバム 

私の小学校の卒業アルバムには、既に将来の夢は弁護士と書かれています。こういうと、親族に法曹関係者がいるのかとよく聞かれますが、そんなことはなく、我が家は大学の授業料が免除されるくらいの普通の貧困家庭でした。小学校時代の法律との触れ合いは、毛利甚八・魚戸おさむの漫画「家裁の人」を読んでいた程度ですが、これは当時の夢とは関係なく(だって、裁判官の漫画だし…)、なぜ卒業アルバムに弁護士と書いたのかは記憶にありません。

ただ、学校の成績は良かったし、学級委員も務める正義感の強い子でしたので、「お前、頭いいから将来医者か弁護士になれ」と周囲に言われて、特に書くこともなかったので弁護士と書いたものと思います。そして「覚えてないけど小学校の卒アルにそう書いてあるから」という謎の理由でそのまま法学部に進学し、いずれ司法試験を受けようと考えていました。

結局、大学では体育会と麻雀に没頭し、司法試験を初めて受験するのは大学四年生のときになりました。体育会の活動が忙しかったので、本格的に勉強を始めたのは大学三年の11月3日(文化の日)でした。

当初はさすがに準備期間が足りないと思い、法科大学院を目指して勉強を始めましたが、知識のインプットのために旧司法試験の択一試験の過去問を解き始めたとき、衝撃が走ったのです。

なんだ、想像してたより全然簡単じゃねーか。

予想外の手応えにこれなら行けるのではないかと思い、急遽、旧司法試験への挑戦に舵を切りました。

母の日は親不孝の日 – 最初の関門 択一試験

多くの受験生がふるいにかけられる旧司法試験最初の関門、択一試験。法務省のウェブサイトには「短答式」と記載されていますが、短答も何もマークシート方式なので、通常、「択一」の名で呼ばれます。母の日に行われるのが通例らしく、2chの司法試験版では「母の日は親不孝の日-択一試験」という悲しいスレが立ちます。

もう内容は覚えていませんが、60点(憲法・民法・刑法各20点)中、40点台後半を出せばパスする感じで、私が受験したあたり年の合格点は以下のような感じです。

 平成20年 合格点 46点
 平成19年 合格点 47点
 平成18年 合格点 46点

当事は刑法の問題がタダの頭の体操だったため(やや激しめの体操ですが)、勉強なしで刑法は18-20点取れましたし、そこから憲法民法で半分以上取れればすぐ40点前後になるので、合格点は初めからそう遠くありませんでした。憲法民法の問題は普通に難しいのですが、暗記作業の割合も大きく、2月頃には問題集や模試で50点台を叩き出せるようになっていました。

しかし、当初は気づいていませんでしたが、択一試験はハンター試験でいえば試験会場に着くまでの選別のようなものであり、激しい船酔いに耐えきる根性や、「母と妻、一人だけならどちらを助ける」と問われて「答えは沈黙」と察して黙っていられる忍耐強さがあれば突破できるものでした(まあでも、難関私大の入試くらい難しいです。)。なお、択一試験でも「母と妻、一人だけならどちらを助ける」みたいな「選べるわけねーだろ!」と試験官を殴りたくなる微妙な問題がたまに出ます。しかし、ハンター試験と違って答えが沈黙であるケースはありませんので、分からなくても回答しましょう。

試験会場すら忘れましたが(明治大学だったかな…)、前日に寮で麻雀を打ったリラックス効果もあり、憲法15、民法17、刑法20の合計52点で無難に択一試験を突破しました(私の年は問題がやや易化したと言われていたかな)。

ここからが本当の地獄だ…論文試験

択一試験で受験者の9割程度が振り落とされるわけですが、次に待ち構える論文試験が激ムズなのです。魔界村やスペランカーほどでは無くとも、攻略情報無しのロマサガくらいの難易度はあると思います。

まず、憲法・民法・刑法・商法・民訴・刑訴の6科目を2時間ずつ(3科目×2日)と日程がキツイです(よく知りませんが、日程自体は現行の司法試験のほうが厳しいかもしれません。)。サトツさんの歩行についていけるくらいの体力がないとそれだけで振り落とされてしまうということです。私は、2日目の1科目めの刑法の受験中にクラクラして、「俺もここまでか…」と感じたのを覚えています(なお、これは単に地震のせいで、揺れていたのは自分でなく地球でした)。

試験終了後の感覚としても普通に落ちたと思いました。というか、1日目の最終科目の商法が難しすぎて、初日で既に諦めモードでした。しかし結果は合格。順位はギリギリ100(確か99とか)を切っていて、真ん中よりちょい上くらいでした。商法ができていなかったという勘は当たっており、商法E、他の科目オールAという成績でした。

なお、今は違うようですが、当時の旧司法試験の順位に大した意味はありませんでした。たまに試験の順位をアピールしている人がいますが、「ドラクエでレベル99まで上げたことがある」という程度のものです。就職の際も、大学の成績は求められましたが、司法試験の成績は求められませんでした。

ウイニングラン – 口述試験

論文試験を突破してしまえば、残りの口述試験はボーナスゲーム。287期ハンター試験の最終試験と同じく、最後まで負けあがった奴が一人だけ落ちるくらいのノリです。ごく少数、ルールを破って他の受験者を殺めてしまったり、試験官に無礼を働いてしまったりして落ちるのですが、冷静に受験すれば落ちないようになっています。

自分の番を控室の椅子(通称「発射台」)で待っているときの緊張感はたまらないものがありますが、実力の100%中の60%くらい出せれば合格できました(他の誰かのために120%の力を出す必要はありません)。

なお、この口述だけ、落ちても翌年、択一論文を受けずに口述試験を再受験できるというWチャンスキャンペーンが設定されているのですが、Wチャンスキャンペーンで合格してくる人は、(必ずしも悪い意味ではないのですが)頭のネジが一本外れていることが多いです

なぜ合格したのか…

論文試験の合格発表があった時は合格した理由が分からなかったのですが、司法研修所に行ってからその理由はハッキリしました。それは、私が優秀だったからではなく、周りが特別優秀では無かったから。ホントこれに尽きます。

司法研修所には、私よりよっぽど優秀な人や、同等のレベルで生産的な議論をできる人もたくさんいましたが、このまま弁護士にしてしまって大丈夫かという人もたくさんおり(その人たちは、ほぼそのまま弁護士になりました)、この人達が合格するなら自分が合格しても大きな不思議はないという結論に至りました。

法科大学院創設によりそちらに流れた人や、直前の合格者増員のおかげで優秀な層の多くは既に合格しており、競争集団の質は低下していたのだと思います。ハンターと同じく、弁護士もピンキリで、私の様にふざけた者もおりますので、弁護士だからといって安易に信用することのないようお気をつけください。

以上、新制度に移行した今や、誰の役にも立たない旧司法試験の振り返りでした(予備試験には少しは通じるところがありますかね)。

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