外資系インハウスのブログと名乗っている割にいつになってもインハウスの話をしないこのブログ。前回の記事(「法律事務所でのキャリア(留学編)」)に続いて、帰国後から転職するまでの流れについて書いていきます。やはりここが一番重たい部分であり、すべてを書こうとすると生々しくなってしまうので、今は比較的表層的な部分を書き連ねるに留めておきます。
帰国 – 過労死ラインの向こう側への帰還
一連の記事の第一弾(「法律事務所でのキャリア(留学前)」)では、新人時代~留学までの激務について触れましたが、正直、体力的には楽ではないし、留学前も「こんなクソ事務所辞めてやる」と思うことは一度や二度ではありませんでした。
しかし、喉元過ぎれば熱さ忘れるとでもいうのか、留学中に、企業派遣や他の法律事務所から来ている日本人留学生等に、イキりながら留学前の激務体験を語って地獄のミサワ化しているうちに思い出が美化され、辛かった記憶はフェードアウトしました。また、出向先の給料や家族構成にもよりますが、二年間も海外で遊びまくっていると流石に資金が底をつき、そろそろ帰ってマジメに働こうかという気にもなってきます。
ということで、もともと事務所に戻ってくるつもりでしたが、特別悩むことなく、二年間の天国みたいな生活を終えて、過労死ラインのずっと向こう側に無事帰還します(留学行ってそのまま消える人もいますが、あまり期待されていない片道切符組を除けば稀です)。
復帰後の暮らし – 留学後のアソシエイトは最高の駒
復帰直後ですが、留学前にまともに勤務していたアソシエイトであれば間違いなく、パートナーどもが「十分遊んで来たんだから、またしっかり働いてもらおうか」と悪い顔して待っています。留学中のブランクはあれど、数年間みっちり鍛えられ、留学で精神的にも充実して帰ってきたアソシエイトは本当に使い勝手が良いです。私も漏れなく、留学前のごとく馬車馬のように働きました。
忙しいこと自体は構わなかったのですが、留学帰りのシニアアソシエイトにおあつらえ向きのデカい案件も回ってくる一方で、雑多な案件も留学前以上に回ってきました。当時はロースクール創設期の大量採用とリーマンショック後の採用控えもあって、アソシエイトの人口ピラミッドが若干いびつになっており丁度いい数年目の若手が絶対的に不足していたこと、ロースクールの不人気化もあってちょっとアレな若手も散見されるようになっていたこと等から、雑多な案件でも留学前後のシニアアソに集中してしまう傾向があったように思います。ファンド等、弁護士を使い慣れており見る目が厳しいクライアント・分野だったりするとなおさらです。
それに加えて、シニアアソのところには、かつてはアソシエイトとして兄弟子だった就任したてホヤホヤの若手パートナーが先輩面して仕事振りにきたりもします。普通に良い先輩なのですが、「他のパートナーの下請けみたいな段階のくせに、中堅~シニアパートナーの案件で既にパンクしてるシニアアソ使って楽しようとすんじゃねぇ」と思ってしまうくらい、当時は余裕がありませんでした。
どこの世界でも仕事は一定の人間に偏りがちですが、法律事務所はそれを助長する以下のような環境が整っています。
②労働基準法の不適用→いくら働かせても怒られない
③成果報酬といっても限りがある→いくら働かせても財布痛まない
このように、アソシエイト間の仕事の公平な分配という観点を軽視して、使い勝手のいいアソシエイトを集中的にこき使うインセンティブが揃いまくっているわけですが、私はこれを携帯会社の料金プランになぞらえて「アソ放題」と呼んでいます。法律事務所でも「働き方改革」とかいう空虚な言葉は出てきますがこんな世界なのでその内容は推して知るべしです。「働き方改革」=「殺さず殺さず」くらいのものと考えていれば間違いないでしょう。
「パートナーの売上=アワリーレート×アソ&自分のチャージタイム」である以上、アワリーチャージで稼ぐ収益構造を変えるかパートナーの給料を減らさない限り、この状況が本質的に変わることがあり得ないのは算数レベルの知識で分かります(一応、アソシエイト組合的なものを作るという手が…)。ただ、パートナー達も厳しい世界を当たり前のように生きてきているので、変える必要性もあんまり感じていないと思います。
旅立ちの時
さて、そんなアソ放題カルチャーが蔓延する中、繰り返しの案件に忙殺され、まじめに働くことに疲れてしまいました。新人の頃は「仕事の報酬は仕事」なんて詭弁もある程度真理と思っていましたが、新しさのない案件が増え成長曲線もあからさまに鈍化する中、仕事をすればするほど時間とエネルギーを浪費し、カネすらロクにもらえない(サボってる人のほうが効率よく給料もらえる)状況になり、これだけのエネルギーを浪費するなら、他のことにぶつけた方が良いと思うに至ったのです。
パートナーからは「あと数年我慢しろ」とかつまらない日本の大企業みたいなこと言われて、完全に冷め切ってしまいました。自分のことを考えてくれての発言だとは思いますが、「パートナーになれば」みたいに権力持ってる側の権益をちらつかせて慰留してきたのも、当時は眼前の問題から目をそらすように仕向けているだけにしか聞こえず、自分の青臭い反抗心を助長することにしかなりませんでした。今思えば、本当に世の中の仕組みを分かっていないクソガキだったと思いますし、この性格こそが辞めることになった最大の原因だったと思います。パートナーがアソシエイトをこき使うなんて当たり前のことなので、非難される筋合いなんて皆無なんですよ。
なお、振り返ってみて思いますが、「辞めたい」気持ちになっている弁護士は基本的に視野が狭くなっているので、明るい未来の話なんてしても響かないです。子供の頃に「家出してやる」というのと似ているので、とにかく仕事を引きはがしてでも一旦クールダウンしてあげるというのが効果的な引き止め策だと思います。
ということで、年収5000万~1億円以上とも言われる出世コースからは見事にドロップアウトして、魑魅魍魎が跳梁跋扈するベンチャー業界へと堕ちていく転職することになりました。その後ベンチャーに行ってまた別の会社にジョブホッピングしている訳ですが、今のところ特に後悔はありません。それぞれの場所で得られるものの種類が結構違うので、比較しようもありませんが。
次は、転職活動かベンチャーの話に入って行こうかなと思います(いったいいつ外資系インハウスの話になるのか…)。
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