タイトルやプロフィールにも書いてあるとおり、今では外資系企業でインハウスをしていますが、弁護士になってからそこに至るまでのキャリアを書いていこうと思います。
新人時代の基本的な勤務形態 – 週100時間を超えると辛くなってくる
まず、私の新人時代の大雑把な勤務形態は以下の様な感じでした。
火曜:9時-29時 (20h)
水曜:9時-28時 (19h)
木曜:9時-
金曜: -48時 (39h)
土曜:14時-29時 (15h)
日曜:16時-26時 (10h) 合計121時間
ここで、最近Twitterで話題になっていた若手官僚の勤務形態を見てみましょう。
今週の勤務時間をご参考までに共有します。
— @霞ヶ関在住 (@kasumigasekino) January 25, 2020
19日(日)10時〜26時
20日(月)8時〜27時
21日(火)7時〜28時半
22日(水)8時〜27時
23日(木)8時〜26時
24日(金)8時〜29時
何をやってるかと言うと朝はほとんど政務レク、日中は調整業務と資料作成、夜は翌日の答弁作成と協議です。死にますこれ。
過去に官僚の知人と話したことありますが、上記は割と真実味のある話だと捉えていいでしょう。弁護士も官僚も同じように頑張っているように見えますが、彼らのほうが役所の作法など「無駄無駄無駄無駄ァ!」なことが遥かに多い一方で、我々の方は給料ががっつり多いという違いがあります。能力的には同等又は彼らのほうが上なので、国のため文字通り滅私奉公する彼らには頭が上がりません。
休みは月に1-2日、週末は基本寝れる
さて、私の話に戻りますが、上に書いたのより緩やかな週もあればもっと辛い週もありました。四大では珍しくはない勤務形態ですが、それなりに働いている部類だと思います。年明けの1月2日からGWまでこのスケジュールで連勤ということもありましたが、平均すれば月に1-2日はしっかり休んでいました。
平日は平均すると朝4時帰りという感覚でしたが、週末は割と人間的な睡眠時間を取っていました。そうもしないと冗談抜きで死んでしまいます。ただ、「週明けの朝一で構いませんから」と金曜の夕方に依頼してくるクライアント(通称「振り逃げダイナミック」)が発生すると、私(土曜)→中堅アソ(日曜昼)→パートナー(日曜夜)→私(日曜深夜)のフローでの作業になることも多く、土曜の夜から日曜の早朝にかけて働くことは良くありました。
これに加えて、リサーチやメモランダム・法律意見書といった調査・熟考が必要な仕事が重なり、日曜日から徹夜ということも月に1回以上はありました。なお、所属している業務分野によって生活スタイルが多少異なります。
「9時5時」って言っている奴はエアプ – 9時に来るアソなんていない
「朝起きていたら死んでいれば楽なのに」と思いながら朝6時に就寝することもたくさんありましたが、残念ながら死ねないどころか寝坊すらしませんでした(2回だけある)。なお、よく四大の弁護士は「9時5時(午前5時w)」という人がいますが、会議以外で9時に出勤してくるアソシエイトなんてほぼ皆無です。10時に来れば早いほうだと言われましたし、当時は11時-7時 or 12時-8時とかのほうがリアル。でも私は朝9時出勤を死守していました。
夢中で乗り切った一年目 – 二年目以降はやや改善
なぜこんなに馬鹿みたいに働いたのかよく分かりませんが、化物みたいなパートナーや手強いクライアントに負けてたまるかという向上心や、程度の差はあれ同じように働くアソシエイトに対する無駄な競争心のおかげで、ずっとアドレナリンが出ていたんだと思います。カネ払いが良かったということは否定しませんが、使う時間もなければロクな使い方も知らなかったし、せいぜい、自分の能力と仕事に対する評価の物差しとしか思っていませんでした。
二年目以降は、案件処理能力の向上とともに徐々に生活がまともになり、留学前には平均して新人時代より2-3時間ほど帰宅時間が早くなりました。徹夜の数も減り、土日の片方はフルで休めることが増えていきました。
こんな過労死ラインのはるか向こう側の世界で数年頑張ったご褒美の意味合いもあって、四大の弁護士は、数年の勤務後に二年間ほど留学に行かせてもらえるわけです。こうして、夢中で駆け抜けた最初の数年間と、自由を謳歌する二年間の留学期間を経て、自分のキャリアについて別の方向性を考え始めるに至ったのでした。
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